MERIDA

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本日、メリダは新しい乗り手の元に旅立ちました。早いもので、メリダはかれこれ5年間乗っていたことになります。
正直手放したくありませんでした。けど、最近は部屋の中で埃をかぶる日々。これではメリダが報われない。
なんとか乗り手をみつけ、現在に至る。
これでよかった。そう思いたい。ただ一つ、悔いは残っているのだが…。

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川に出た。ここはどこだろうか?それにしても、自転車でこんなに遠くに来たのは初めてだ。心地よい疲れが体を包む。
2005年6月5日。写真のデータにはそう残っている。5年も前の出来事。けど、この日のことは良く覚えている。
メリダに出会ったのは偶然だった。コツコツ貯めた小遣いを握り締め、入った自転車屋にいた、青い自転車。それがメリダだった。
なぜ自転車を買おうと思ったのか。好きだったから、としか言いようが無い。いつかはいい自転車に乗ろうと思っていた。まあこのとき、世の中にはママチャリとMTBしか無いと思っていた。これがクロスバイクだと知ったのはそれからだいぶ経ってからだ。そんな無知でありながら、夢は大きかった。日本一周である。
メリダが納車されたのは5月。それから毎日が冒険だった。
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どこにでも飛んでいける翼、というのは大げさだが、当時の私は本気でそう思っていた。次はあの道を、今度はあっちに。知らない道を走るのが楽しかった。その先にはいつも発見があった。毎日、自転車に乗るのが楽しかった。

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このとき既に一人暮らしをしていたのだが、毎月の生活費を切り詰めて、毎月新しいパーツを買った。月を追うごとにメリダは姿を変えていく。
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長らく外付けのパーツをつける事が多かったが、初めて自転車本体のパーツを変えた。変速機である。グリップシフトからラビットファイアに変更した。
「俺にもできるんだ」
この辺から変なスイッチが入ってしまい、あらぬ方向へと進みだす。
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ドロップハンドルへの憧れ。そして実行。今思えば馬鹿なことをしたと思うが、おかげで自転車について多くのことを学んだ。
そもそもクロスバイク、というかMTBとロードバイクはパーツの互換性が無いこと。似てるようで違う。この大改造で、メリダは大きくパーツの変更が余儀なくされた。
まずブレーキが違う。クロスバイクはVブレーキ。ロードバイクはキャリパーブレーキ。ブレーキが違うとブレーキレバーが違う。
そして変速機が違う。変速レバーが違えば変速装置(ディレーラー)も違う。

ブレーキの問題は深刻だった。解決するにはブレーキを換えるのが手っ取り早いが、そもそもクロスバイクのフロントフォークにはロードのブレーキは付かない。フロントフォークは買えばいいのだが、リアブレーキはフレーム直付け。フレームは交換するわけにはいかない。なんとかVブレーキをそのまま使うため、ロード用ブレーキレバーで使うための変換機、トラベルエージェントなるものを組み込んだ。まあ使えるには使えたのだが、これは私の人生の大きな失敗のうち一つに数えられるほどの大失敗だった。だが、当時それ以外の解決方法が思いつかないためそのままだった。もっとも、これが後に大きな事件を引き起こすのだが…。
変速機については、実際にやってみたらなんとか動かすことができた。かなり怪しいが。

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なんとか出来上がったものの、上がるはずだった走行性能は一気に落ちた。ブレーキは利かなくなり、変速もぎこちない。けど、自分の中では満足していた。が…。


気がつくと道路に倒れていた。見知らぬ人が声をかける。大丈夫ですか?と聞かれるので、大丈夫です、と答える。どこからともなく現れた救急車に乗り込むとき、状況を整理した。
突然飛び出してきた車、間に合わないブレーキ。


事が一段落し、事故現場に戻る。そこにはメリダが残っていた。大きくひしゃげたホイール。曲がったフロントフォーク。自転車は壊れたが、私は軽症ですんだ。
壊れた自転車を弁償してもらうこともできたが、私は断った。壊したのは相手ではない。自分なのだ。弁償するなら、自分でする。

事故の後すぐ、メリダの修理が始まった。いや、やろうと思った。けど、実際にはやらなかった。正直、気が滅入っていた。その事故の後、身の回りで不幸が続いていた。特に唯一とも言えた自転車友達の事故死は、当時の私には辛かった。自転車に乗るのが嫌になった。乗って何になる。
そしてしばらく、原付バイクとママチャリの日々に戻った。




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けど、忘れられなかった。知らない道をこいつと駆けていく感動が。もう一度、あの川に行きたい。いや、もっと遠くへ。日本のすべてを走りたい。そう、目指すは日本一周だ。



再び大改造が始まった。プランはあの事故の後から考えていた。まず最も重要なのがブレーキだった。餅は餅屋。ロード用ブレーキレバーは変速機と一体型だ。右手にあるのがフロントブレーキと、リアの変速。左手にあるのがリアブレーキと、前の変速。リアの変速はなんとか調整でごまかせる。問題のフロントブレーキだが、どうせフロントフォークは壊れた。新しくロード用のフロントフォークを導入した。
しかしフレーム直付けのリアブレーキはどうしようもない。なら、ブレーキレバーをロード用にすれば良い。今は少し種類が増えているのかもしれないが、ダイアコンペから287VというVブレーキが使えるロード用ブレーキレバーがある。それを使うことにした。これだと前の変速ができなくなるので、バーエンドコントローラーというものを採用した。
これで、ブレーキ、変速共に理論上問題なくなったはずだ。
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そして事故から数ヵ月後、メリダは再び走り出した。前とは違う。ぎこちなさの少なくなった走りで。さて、どこに行こうか。そうは思いつつも、行く場所は決まっていたのだが…。



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それから半年後、再び姿を変えた。思いのほか、バーエンドコントローラーによる変速が使いやすく、前後ともバーエンドコントローラーに変更したのだ。変更に伴いブレーキレバーも変更。前までは左右でレバーが違ってあまりスタイルが良くなかったが、同じ形の287というブレーキレバーに変更。左は287V、右は287。良く見ると形が違うのだが、ほとんど同じ。左右についたバーエンドコントローラーをといい、非常に安定した印象になった。
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これで、メリダは一応の完成となった。もういじる場所も無い。今更フラットハンドルに戻す気もない。
社会人となり、何か自分にプレゼントしよう。そこで私は自転車を買った。
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クォークだ。正真正銘のロードバイク。走りの主力は、完全に移行させた。じゃあメリダはどうしよう。それはもう旅できる自転車にしようと決めていた。キャリアを積み、どこまでも行けるような。
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ただ、社会人になってからそんなに休みも取れない。なかなかフル装備が活躍する日も来ない。重量増となるリアキャリアは普段使いにはデメリットしかなく、悔しいが取り外すこととなる。
その後、クォークを買ってスポーツ走行に楽しみを感じ出し、ふとトライアスロンバイクに憧れを持つようになる。突き出たDHバーが、格好良く思えた。
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まず手始めに、ハンドルを変えてみた。ブルホーンハンドルへの変更は、至極簡単だった。持っているパーツがそのまま流用できた。外して付けただけだ。
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そして、最後のパーツを装着。ついにここまで来てしまった。ペダルもクォークと同じSPD-SLペダルへと変え、その姿はまさに純競技自転車となった。
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ブルホーンだけではクォークには勝てなかったが、DHバーを付けたことで直線ではかなりの速度上昇となった。空気抵抗が違う。しばらく自転車トレーニングはメリダが下克上に成功する。だが、転勤を繰り返すうちにロードの走りにくい土地の移っていく。



小回りの利かないメリダは、自然と部屋の中で待機する日が増えた。


そして、今日に至る。







お前は走りたいか?






同僚達に乗ってくれないかと聞いたところ、先輩が手を上げてくれた。信頼できる人でよかった。愛着があるものほど、遠くに行くのは辛い。カメラのGX200もそうだったが、信頼できる人の下に行くのは幸運だ。
とても普通の人が乗れるものではないので、武装解除。
DHバーを外し、いくつもの装備を一般用に変えていく。
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そんな中、SPD-SLでは普通の人はペダルが踏めないので、もともと付いていたペダルを用意する。傷つき、錆付いたペダル。SPDペダルに変えたのは結構最近だから、ずっとこのペダルを踏み続けてたんだな。残された多くの傷が、その歴史を語る。そう思うと、フレームに付いた傷一つ一つを思い出させる。初めての落車の時、駐輪所での出来事、そして、車との事故。5年間で付いたたくさんの傷。一緒に走った証。
先輩の下に行くんだ、完璧な状態で送り出そう。クォークのため使おうと思って買ったものの、使わなかったパーツは全部交換した。傷ついたフレームとは不釣合いなほど、輝くパーツがまぶしい。
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今日は最終調整を兼ねたラストランをする予定だった。メリダを外に出し、さて、どんな服で走ろうかと部屋に戻る。すると先輩から連絡があり、急遽今日受け取りとなった。一応調整は終わっている。引き渡しても問題は無いのだが…。


別れは突然である。こうして私の手からメリダは離れた。
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いつもそこにあるのが当たり前だった。
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ぽっかりと空いたスペース。

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少しだけ広くなった部屋。


広くなった部屋の片隅の、大きなリアキャリアと、バッグが残っていた。そういえば昔、メリダで日本を走ろうとか、思ってたんだっけ。
もうメリダとは走れない。でもせめて、日本一周するときは、これを使いたい。メリダと一緒には成し得なかった夢だが、まだ夢は終わってない。

いつの日か、必ず。
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