俺の写真 俺の目線

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そもそも写真をはじめたのは自転車がきっかけだ。自転車で走っていて遭遇する風景を残すためにカメラを導入した。が、どうせならいい写真を、と思い一眼を導入したが、それはいろいろと間違いだった。今思うとコンデジを選んでおくべきだった。
自転車で走れる環境が減った今、自転車熱が衰え、写真に傾斜していったが、最近はその写真熱も冷めつつある。
なんというか、撮りたい写真が分からなくなったのだ。
何を撮りたいのか、どんな写真を撮りたいのか、まったく分からない。分からないから写真が撮れない。
いやでも、漠然とは分かっている。なぜなら昔は撮れていたから。そして、昔の自分と今の自分で、一つ大きなものが無くなっていることに気づいた。

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実際のところ、具体的に「撮りたい写真」なんてないのだ。けど、漠然とした「撮りたい写真」は身の回りにある。というか身の回りにしかない。人にとってはどうでもいい一瞬、それが自分にとっての「撮りたい写真」だ。
どういうことなの?と思うだろうが、自分でもそう思っている。
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気になったものを撮る。気に入ったものを撮る。それが楽しいのだ。それが自分にとっての「撮りたい写真」であるはずだ。
けど、最近はそれができない。道を歩いていても、何も気にならない。どんな素晴らしい光景があっても、素通りだ。
これはアレだ。「カメラ目線」を忘れている。昔はどんな場所でも自然と構図を考えていたが、今はそうは行かない。こうなってしまった原因は半年ほど世界に行っていたのが原因くさい。というのも、世界を巡ったがそれは仕事。写真とはほぼ縁のない毎日だった。
運動と一緒で、毎日やらないと写真も下手になる。そういうことなのか。
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まあ実際そんなことを考えながら歩くのは変体以外の何者ではなく、ポジティブに考えればまともになったと喜ぶべきか。ただ、今後も趣味として写真をやっていくとなるとそうはいかない。カメラ目線を取り戻さなければならない。でもどうやって?王道なんてないはずだ。
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カメラ目線を思い出すには、毎日撮影にでも行くべきなのかもしれない。が、休日出勤上等!な現在、なかなかそんな暇もない。そもそも「写真」という趣味が自分にはあっていなかったのかもしれない。まあ今更だが。
今後どうするのか。それは自分にも分からない。しかし取り戻せそうにないならそれまで、ばっさり写真をやめる。といことは無い。やはりサイクリングしてると、どうしても残しておきたい光景には出会う。
記録のための写真は嫌いだが、記憶のための写真は残したい。ああそうか、これが本当の「撮りたい写真」なのか。
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OM10+OM24mmF2.8