いつまでファインダーを覗いているんですか?後編

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OM30+OM35-70mmF4

 カメラを撮るとき、誰もがファインダーを覗いていた。まだ、写真がフィルムで撮られていた時代。そしてすべてのものははデジタル化され、カメラもまたデジタル化された。
 100年以上のカメラの歴史の中で、ここ数年ファインダーが失われていく。文字を書くときペンを握り、画を描くとき筆を握る。そんな当たり前だったことも今では変わり、ペンはキーボードへ、筆はタブレット、そしてファインダーは液晶へと変わる。
 時代は変わった。もう、ファインダーは必要ないものなのだろうか?

 ファインダーが液晶に変わっていく時代。その違いは人の目で見るか、カメラの目で見るかの違いだ。つまり、撮影する画像がそのまま見れるということ。光学ファインダーで見た風景を、そのまま写真になることはまずないだろう。露出が違えば被写界深度、ホワイトバランスなど、まるで違ってくるはずだ。そう、光学ファインダーの弱点はそういうところだ。思い通りの写真を撮るためには、光学ファインダーで見た画像を頭の中で変換する必要がある。カメラのホワイトバランスを変えても、ファインダーから見える世界は変わらないのだ。つまり、多少の差異はあれど、光学ファインダーに比べ見えるとおりに写真が撮れることになる。それだけでなく、光学ファインダーでは絶対に真似のできない、一部拡大という機能も持っている。映像を拡大し、正確なピント合わせを行うことができる。また、そのサイズの差も大きい。フルサイズカメラのファインダーと比べてもその差は数倍以上だ。
 でもなにより、撮影時ファインダーを覗かなくてもいいという利点は大きい。ローアングルやハイアングルといった、これまで難しかった構図も容易に可能となった。

 逆に光学ファインダーの利点はなんだろう?高性能な人間の目で見る、生の世界。高速で動くものも、タイムラグ無しで見ることができる。といったところか。

 もう、ファインダーの時代は終わりなのか?カメラから、ファインダーは無くなってしまうのだろうか?
 ここで、初めの質問に対する回答をしたいと思う。いつまでファインダーを覗いているのか。恐らく、死ぬまで、私はファインダーを覗き続けると思う。そう頭に刷り込まれているのだ。カメラは、ファインダーを覗いて写真を撮るものだと。子供のころ、大きな一眼レフカメラに憧れを抱いていた、あの頃から。

 しかし、高性能化する液晶は、やがて人間の目を上回ってしまうだろう。だからこそ、これからは電子式ファインダー、EVFの時代なのかもしれない。
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 高倍率ズームのデジタルカメラには、液晶タイプのファインダー、EVFが搭載されている。はっきり言ってこれは使い物にならないものが多く、GX200の外付けEVFもまた実用に堪えなかった。光学ファインダーに比べ、画像が汚く、カメラを振ると画像は遅れて表示される。ピントが合っているかどうかも分かりづらく、よくメーカーはこんなものを発売できるな、と常々思っていた。
 そんな常識を覆したのがパナソニックのG1だった。恐ろしく繊細で、タイムラグの無いそのファインダーは、新たな時代の訪れを感じさせた。
光学ファインダーは技術的にサイズの限界がある。ミラーに写る風景を、いくらプリズムで拡大しようとも限界がある。フルサイズならともかく、フォーサーズのような小さなミラーでは拡大の限界がある。フォーサーズのフラグシップ、E-3はもっとも大きく見えるファインダーをもっているが、フルサイズのカメラと比べると差は歴然としている。しかし、意外にもG1はD700やEOS5Dと同じファインダーの大きさを持つ。一部拡大できることを考えれば、それ以上繊細に見ることができる。
 もっとも、それでも背面液晶と比べれば利点は劣るのかもしれない。ファインダーを覗くというのは不便だ。面倒だ。だが、趣味というものはそういった物を楽しむものではないか?

 液晶の発達した今でも、私はOM-1で撮影するし、ペンFでも撮影する。今の光学ファインダーと比べたら性能は決して良くないが、不思議と楽しいものだ。これからも、いつまでも、ファインダーは覗き続けていこう。
 これが、私の答えだ。