故郷〜ふるさと〜

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私の故郷には何も無い。あるのは、山と田んぼと、ちっぽけな思い出だけ。

なんだかんだで震災から3ヶ月。テレビからはすっかり震災のニュースも減りつつある。とはいっても被災地が復興したわけでもない。まだ瓦礫は山積みで、行方不明者の捜索も続いている。寒かった東北も暑くなり、気がつけば空を覆うほどのハエが舞う。備えあれば憂い無し。電気のいらないエコな蝿取り紙が大活躍中だ。


もともと東北地方は好きではない。寒いのが嫌いだからだ。もう一言言うと、関東も好きではない。物が溢れ過ぎて、何か急かされている気になるから。でも、関東の人間は関東が好きだと言う。東北の人間は東北が好きだ。生まれ育った故郷を、悪く言う人は少ないはずだ。
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けど、田舎の人間は都会を求める。田舎には何も無い。21世紀の今でも最寄のコンビニまで歩くと30分以上かかる。3階建て以上の建物は珍しい。車の通らない道を、イタチが横断していく。田んぼがあって、畑があって、山があって、川がある。それ以外は何も無い。
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だから都会に行ってみたかった。そして、関東勤務を経験した。けど都会にも何も無かった。コンビニがあって、ファストフード店があって、ビルがあって、駐車場がある。田んぼは無い、畑もない、山も無い、川も無い。物はあるけど、何も無い。そもそも自分は都会に何を求めていたのか?たぶん、田舎には無い「何か」があると信じて来たのだろう。けど、そんなものは無かった。田舎に無いものは、都会にも無い。その逆に、都会に無いものも、田舎には無い。

都会の人間に、なぜ都会が好きなのか聞くと、欲しい物がすぐに手に入るからだと言う。欲しい物?欲しい物って何?


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私はと言うと、子供のころ、どうしても足の生えたおたまじゃくしが欲しかった。友達が自慢げに見せびらかせていて、なんとか自分も手に入れてみようと思ったからだ。あぜ道を歩き、水田を泳ぐおたまじゃくしを追う。おたまじゃくしはたくさんいるが、足の生えたおたまじゃくしはなかなか見つからない。見つけても、水田の内側を泳いでいたりと、捕まえるにはいたらない。用水路に泳いでいる、というか流されている足つきおたまじゃくしを見つけたとき、何とか捕まえようと用水路の水を仕切り板で止めることもあった。農家の人には迷惑だっただろう。結局手に入らぬまま、その夏手に入れたものは「足つきおたまじゃくしを探した」というちっぽけな思い出だけだった。

都会で、足つきのおたまじゃくしは手に入るのだろうか?欲しい物がすぐに手に入る、というのは、少なくとも私には当てはまらない。都会の人間に言わせるとなぜそんなものが欲しがるのか分からない。けど、あの夏手に入れた「ちっぽけな思い出」は、あの場所でしか手に入れることはできない。

東北は私の故郷ではない。けど、誰かの故郷。誰かのちっぽけな思い出がある。



結局何が言いたいか自分でも分からなくなったので、今日はここまで。帰ってきたので明日からしばらく更新できそうです。